2006/11/25

埴原城(はいばらじょう)

 時々通る道沿いに「埴原城入口」という看板が立っていて、かねがね見に行ってみたいと思っていたので、その入口から山に続いている道に入ってみた。急な上り坂が続いているのに民家がそこそこあって、どの家もそれなりの石垣を組んで土台としていたので、何だか城の石垣がもう出てきたかと思ってしまいそうだった。でもどの家にも似たような垣があるのでどうやら違うようだなと思いつつ、100メートル弱くらい上がったあたりに蓮華寺という寺があった。そこから先はさらに急峻な山道という感じで車も入って行かれそうにないので、ここまでかなと思いつつ寺の周りを歩いていると、その蓮華寺に用事があると思しき人が、同じように車で来て中に入っていった。あまりよそ者がうろうろしているのも何だなと思って諦めて帰ろうとしたら、案外すぐにその人が出てきた。そこで、埴原城について尋ねてみた。
 どうもその人――50歳くらいのおじさんは、初め「埴原城」という響きにピンと来てない様子で、そんなような看板があったなぁと言うようなことを言っていたけど、話を聞いていると、どうやらどこかに明確な石垣などがあるわけじゃなくて、松本城を守るための見張りの役目としてこのあたりに建てられていた、その地籍を表したものだと言うようなことを説明してくれた。そして更に、それより松本なら松本城だとか、あとは諏訪や上田の方に行けば見るべき神社仏閣などいろいろあるということまで教えてくれた。オレ、ここから40分くらいのところに住んでいるんですが……。松本ナンバーのしかも軽自動車なんですが……。と思いつつも丁重にお礼を言って別れた。
 このあともとの入口まで戻って、その看板の脇の少し小高いところにある埴原城に関する説明書きを読んで、先のおじさんの説明に納得したわけだけど、帰ってきてからその付近の地図などを調べたところ、どうやら蓮華寺から山の勾配方向ではなく、山に向かって右側のほぼ等高線づたいに続く道を進めば「埴原神社」なんかに行き着いたらしい。そこまで行けば何か別のことが分かったかも知れないけど、どうなんだろう。説明書きが入口にあるってことはそれ以上城に関する何かに出くわすこともないのかも知れない。
 その説明書きによると:

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 えっとつまり、ここは松本平の軍事の要衝として、小笠原氏以前からこのあたり一体に「前線基地」として城が築かれていたけど、要衝ゆえに、1500年代の武田氏による小笠原氏攻略の際に最初に陥落させられてしまいましたと。言った理解でよいのだろうか? 日本史、苦手分野だ。
 しかるべき人に聞きながらこのあたりを歩けば、「遺構」ってのが具体的に分かったのかも知れないけど、まぁ埴原城の何たるかがいくらかでも分かったので良しとしよう。
 気になる文字遣いも少々:

「経」の略字は時々見る。「当」に関しては、これを書いた人の癖かなとも思えるけど、取り敢えず見付けたものは記録するという方向で行こうかと……。

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